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高崎青経とは

青経の特徴
満45歳までの青年経営者に経験のチャンス!!
高崎市に事業所を有する(満45歳までの)役員会で承認された青年経営者であれば入会できます。
会員誰もが色々な役職につき、豊富な知識を得るチャンスがあるので経営者としてのリーダーシップ、また社会人としての必要な経験を実戦で学ぶことができます。
本当の仲間との出会い!!
会員の多くが多忙な日々に追われている経営者です。その中でさまざまな問題を抱えていると思います。ひとりではどうすることもできない悩みを打破していくのはとても難しいと思います。
そこで各会員が会に参加をし、今抱えている問題や悩みを共有したりすることにより、何でも相談のできる『本当の仲間』に出会うことができます。そしてお互いを高め合い各会員が成長できます。
将来の自分への投資!!
多種多様な勉強会、役員の経験、多くの会員との交流など、この会で費やす時間は自分一人では得ることのできない大きな財産となります。
日本に留まることなき海外進出への挑戦!!
私達、青経会員の企業は製造業が多く、今、日本が弱体化していく一方、世界にも目を向け現役会員及び、青経OBの諸先輩達の企業が世界で活躍をしております。
青年経営者協議会の会員皆、日本、そして世界へのビジネスチャンスを追い続けているのです。
主な活動内容
役員会
役員により毎月開催。運営上必要な事項を企画審議する。
実施機関
総 務 部・・・総会、視察研修、新年会の実施
経済情報部・・・経済・金融・税制その他企業活動に必要な国内外の情報提供
経営技術部・・・生産性・技術力の向上及び労務対策全般にわたる研究
文化社会部・・・経営者として必要な一般教養、文化・社会現象に関する研究
親睦事業部・・・会員及びその家族の懇親を図り互いに理解を深められる行事の企画・実施親睦ラリー
        家族旅行・クリスマス会の実施
編 集 部・・・機関紙(ブルーノタウト)の発行、その他広報活動、及び必要により発行する出版物等の
        編集業務
高崎青年経営者協議会の歴史
西暦(和歴)青経のあゆみ社会の変異
1957年(昭和32年) 高崎青年経営者協議会発足
当初は18名で発足
沖電気工業が誘致される
1958年(昭和33年) 理事長制度の導入
初代理事長に新井治夫氏を選任
会員60名に達する
東京タワー完成
1万円札発行
1959年(昭和34年) 第1回高崎工業製品展示会の開催 音楽センター着工
八幡工業団地が建設される
1961年(昭和36年) 地区幹事制の制定 音楽センター完成
1962年(昭和37年) 工業製品展示会から工業振興祭へ名称変更 大八木工業団地完成
東京農大二高開校
1967年(昭和42年) 青経の歌発表 問屋町誕生
和田橋開通
1971年(昭和46年) 工業クラブ結成
満43歳以上の青経会員は工業クラブヘ
倉賀野工業団地
メッキ共同組合が操業開始
1972年(昭和47年) 青経15周年記念式典の開催
高崎市へトヨタカローラ1台を寄贈
昭和大橋開通
県立近代美術館起工式
1973年(昭和48年) 出席奨励委員会の発足
出席率の低下が問題になり発足
石油ショック
八幡第二工業団地が造成
1977年(昭和52年) 青経20周年記念式典
ふるさと祭り(現高崎祭り)に初参加
高崎高島屋開店
1979年(昭和54年) 会員情報誌『タウト』を発刊 上越新幹線
大清水トンネル開通
1983年(昭和58年) 赤城国体の来賓特別接伴を担当し
青経の存在を大いに知らしめる
藤岡青経の発足
東京ディズニーランド
オープン
1985年(昭和60年) 高崎市制85周年式典
青経はパレードを担当
二公社の民営化
電電公社 → NTT
専売公社 → JT
科学万博開催(茨城県つくば)
1990年(平成02年) 青経会員100人の大台に ドイツが国家統一
1995年(平成07年) 新三部会スタート
今までの「生産」「情報」「労務」の三部会を
新たに「経済情報」「経営技術」「文化社会」と改めた
阪神淡路大震災
1996年(平成08年) 地区対抗戦の初開催 O-157大量感染
2000年(平成12年) 工業祭から高崎産業祭へ改名 二千円札発行
2007年(平成19年) 青経創立50周年 宮崎県知事に
東国原英夫氏が当選